一人称について
このブログでは一人称を「俺」にしているが、普段は「私」や「僕」を使うようにしている。
一応社会人なので、仕事中は「私」を使って相手に敬意を払うよう心がけてはいるし、家族に対しては「僕」を使うようにしている。あくまで俺のイメージだが、「私」に中性の、「僕」にはとても薄い男性の意識が含まれているように思われる。
対して「俺」はというと、濃い男性の意識が含まれている。男性の意識は言い換えれば自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きであることと言える。「僕」に生えているのはあくまで「おちんちん」「オチンチン」と未成熟なものだ。家族に対してギラギラと性的な話をすることを好まないので、「僕」を使うことで「一応男性の自分」と表現していることを望んでいる。
「俺」を使う男性は多い。それを聞くたびに俺の中では「自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きである自分は」と翻訳してしまう。これを書いている俺も「自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きである」俺だ。男性どころか雄と言ってしまったほうがぴったり来る。
俺は「おれ・オレ・俺」男子が好物だ。めったに「俺を使う男ってさ…」などと解説はしないが俺に対して「俺」を使ってくれる男子は意図してかしないでか俺の中の雄の部分を刺激してくれる。
「僕」から「俺」に変わるとき、男は雄に、獣に近づくのだ。
一応社会人なので、仕事中は「私」を使って相手に敬意を払うよう心がけてはいるし、家族に対しては「僕」を使うようにしている。あくまで俺のイメージだが、「私」に中性の、「僕」にはとても薄い男性の意識が含まれているように思われる。
対して「俺」はというと、濃い男性の意識が含まれている。男性の意識は言い換えれば自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きであることと言える。「僕」に生えているのはあくまで「おちんちん」「オチンチン」と未成熟なものだ。家族に対してギラギラと性的な話をすることを好まないので、「僕」を使うことで「一応男性の自分」と表現していることを望んでいる。
「俺」を使う男性は多い。それを聞くたびに俺の中では「自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きである自分は」と翻訳してしまう。これを書いている俺も「自由自在に勃起できるチンポが生えていて射精するのが大好きである」俺だ。男性どころか雄と言ってしまったほうがぴったり来る。
俺は「おれ・オレ・俺」男子が好物だ。めったに「俺を使う男ってさ…」などと解説はしないが俺に対して「俺」を使ってくれる男子は意図してかしないでか俺の中の雄の部分を刺激してくれる。
「僕」から「俺」に変わるとき、男は雄に、獣に近づくのだ。
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