なぜシッポに惹かれるのか

動物にあって人間いないものはシッポ以外にも、角や羽根などある。角や羽根はシッポに比べて性的な感じが少なく思われる。

動物の角は他の動物との戦いに実用的な武器として使われ、強さを誇示するための飾りとしてバイキングが取り入れた。鳥の羽根は鳥類がその体の重さに抗って空を飛ぶという実用的な目的がある。しかし、動物のシッポは虫を追い払う、体のバランスを取るなどその役割は重要だが地味なのに対し見た目は派手だ。感情を表すという役割もあるが、それは自然界においてはむしろ欠点になりそうだ。

おまけに、シッポはその位置や形状がチンポに近い。2本目のチンポと言ってしまってもいいだろう。シッポに対して性的な興奮を覚えない人たちは、作り物のチンポを目立つところに身に付けることを考えてもらいたい。

俺たちは自前のチンポを人目に晒すのはよくないこととされている社会で生きている。たとえ作り物でもチンポを人目に晒せば猥褻罪に問われてしまうかもしれない。シッポはあまりにも人目に晒してはいけないチンポに似すぎているのだ。

現代の俺たちの考え方の根底に西洋思想の原点になっているキリスト教において悪魔はシッポを持つものとされていることもそうだし、中世ヨーロッパの「イギリス人男性(Englishmen)、とくにコーンウォール人男性(Cornishmen)にはシッポが生えている」と信じられていたことやSt. AugustineやSt. Thomas a'Beckettの伝説を見る限り、シッポが生えていることは恥ずべきことというように記されているようだ。



シェークスピアの「ある真夏の夜 」でもそうだし、コロッディの「ピノキオの冒険」でもロバに変身する場面は嘲笑や羞恥の対象として描かれている。

つまり見た目の派手さ、チンポに似た形、キリスト教的な捉え方、その後の文学作品などでシッポが生えることに興奮を覚えるのである。

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