先天性有尾人 vs. 後天性有尾人

この内容についてはこれまで書いていなかったので書いておこう。

先天性有尾人というのが生まれながらにしてシッポが生えているのに対し、後天性有尾人というのは生まれてから何らかの理由でシッポを生やさせられる。先天性有尾人にとってシッポはあって当たり前であり、後天性有尾人にとっては自らの意志如何に関わらずシッポはそれまでなかった新しい器官である。

設定や環境にもよるが、先天性有尾人にはシッポが生えているということは恥ずべきことではなく、後天性有尾人が特に無尾人に囲まれている場合は特別感(ポジティブに捉えている場合)、屈辱・恥辱感(ネガティブに捉えている場合)を持ちながら生活するのだろう。

先天性有尾人はおそらくチンポとシッポを結び付けて考えることはしないだろうし、後天性有尾人や無尾人でも俺のようなものは「グヘヘ、ケツにもチンポがもう一本!どっちもしこりまくるぜ!」などと邪なことを考える者が(一定数)いそうだ。

先天性有尾人にも後天性有尾人にもどちらにもシッポが生えている。俺としてはそのシッポを受け入れることに悩む必要さえなかったであろう先天性有尾人よりも違和感だったり恥辱・屈辱などがあったであろう後天性有尾人に興奮を覚える。さわやかさよりもカビが生えそうなじめじめ感が望ましい。

このフェチズムが覚醒する条件は以前にもいくつか考察したが、今回は正常性バイアスの逆、非正常性バイアスを加えたい。

正常性バイアスとは「認知バイアスの一種。 社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

だが、俺の場合はどうも逆の非正常性バイアスが強い傾向があるのだ。上の定義を借りるなら「自分にとって都合の悪い情報を尊重?したり、過大評価したりしてしまう人の特性のこと。」となるだろうか。

フィクションの作品を見て感情移入が強かったり、実際に起こったりした場合をシミュレーションしてみたり、怪談を聞けば自分の身にも起こるのではと心配する。少年漫画「アウターゾーン」で主人公がレジ袋に滑って頭を打って亡くなったのを見たときには、床の上に落ちていたレジ袋を全部一ヶ所にまとめた。要するに現実とフィクションの境目がとても薄いのである。その立場に置かれた自分をイメージする想像力が強すぎるのだ。子供のころ読書を割としたのが原因だろうか。

先天性有尾人にも例外がいるだろうが、ほとんどの者にとってはシッポはありふれているものであるだろう。それに対し後天性有尾人にももちろん例外がいるだろうが、シッポは人間には生えてはいけない、チンポの形をした、生えたら恥ずかしい、見られたらバカにされる、でも興奮する代物に違いない。

俺の症例は面白いと思うが、シッポフェチは俺と全く同じように発症しなくてもいいとは思う。だが、なぜ俺はこのように非正常性バイアスが強いのだろう。育てられ方の問題か?持って生まれたものなのか?この非正常性バイアス訓練法についてはすこし調査の余地がありそうだ。

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