シッポ取りの隠れた意味

俺自身が初めてシッポ取りを経験したのは幼稚園時代だった。この記事でも書いたが、それまでシッポに対して無意識にムラムラ(もやもや)とした印象を持つことはあったが、遊びで友人や自分自身にシッポを生やすということは思いついたことはなかった。シッポ取りで自分ににシッポが生えさせられ周りの友人にもシッポが生えるのを目撃し、それに衝撃を受けたことでこの性癖が開花してしまった。

シッポ取りは設定のある鬼ごっこだ。シッポを生やしたものが他のシッポを生やしたものからシッポを奪うことで勝負を競う。ゲームの設定としては単純なものだが、そこには言葉にされない(というか言葉にしては不適切な)意義が、気づいているかどうかは別にして、存在しているように思える。

あくまで以下は俺の考えなのでこれを他の人に話して軽蔑されても俺は責任をもてないのだが、書いてしまいたい。

シッポ取りとは男根崇拝が根底に流れているように思える。はじめに全員シッポ(男根、勃起したチンポのこと)を生えており、それを互いに奪い合う。最終的にシッポを維持し続けたものが勝つのだが、これは自然界での群れを成す動物・獣のマウンティングを縮小しているように思える。

これとは別に、シッポ取りに参加する(自発的、受身的とも)ものと参加しない(拒否、あるいはゲームマスター的位置に立つ)ものの間にもある種の上下関係があるように思える。シッポ取りにおいての俺の考える上下関係では、自分はシッポを生やさず、他の参加者がシッポを生やすのを目撃するものが上(SMでのS)、自身にシッポを生やすのを目撃されるのが下(SMでのM)に位置しているように思える。

つまり、シッポ取りは本能レベルでの雄のマウンティングとSMの初歩的体験をさせてしまう可能性のある遊びなのである。

ここまで考えてシッポ取りを導入・指導をしていることはあまりないと思うが、これを経験した俺の性癖は大変偏ったものになった。

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